MENU

CONTACT

林道東俣線の舗装工事

さわら島・二軒小屋への唯一のアクセス道路である林道東俣線で改良工事が進んでいます。リニア中央新幹線南アルプストンネル工事の準備工事としてJR東海さんの発注で行われているもので、2019年に着工し現在舗装工事が進められています。南アルプスの静岡側にとってアクセスの悪さは積年の課題でしたが、大きく改善されようとしています。

林道東俣線の危険箇所

東俣線の歴史

大井川源流域に自動車の道路ができたのは中部電力さんの畑薙第一・第二ダム(1962(昭和37)年運転開始)の工事用道路(現在の県道南アルプス公園線)が最初です。これをきっかけに、弊社の前身である東海パルプの先人が林野庁に林道の必要性を強力に訴えました。その結果、全国的に奥地林開発の大規模林道が計画されていたという時代背景もあり、沼平から東俣流域に至る54kmの基幹林道が計画されました。これが現在の林道東俣線です。その後、国の予算などの事情によって終点が二軒小屋までに短縮されましたが、「東俣線」という路線名に当初計画の名残が見られます。

東俣線は静岡県が事業主体となり、1964(昭和39)年着工。急傾斜地を横切る難工事の連続でしたが、8年の歳月をかけて1972(昭和47)年、二軒小屋の対岸まで開通しました。(現在の管理者は静岡市)

これにより、それまで大井川の水流に頼っていた木材輸送がトラック輸送となりました。木材の流送は川の中での非常に危険で厳しい作業でしたが作業員はそれから解放され、木材の運搬効率も格段に向上しました。また、沿線では広葉樹林を針葉樹の人工林に転換する拡大造林や、林野庁の治山事業が行われました。

一方、東俣線は開通以来災害に悩まされてきました。特に1982(昭和57)年の台風10号では、畑薙橋と車屋沢橋が流出。千石大橋よりも上流側は復旧不能となりました。その後、1985(昭和60)年から行われた中部電力さんの電源開発工事や1991(平成3)年の高校総体の前には法面の安全対策が随所で行われました。それでもまだ落石や崩土の押し出しは頻発し、大井川が増水すればどこか路肩が崩れる状況が続いています。

また、時代の変化とともに東俣線の利用状況も変わってきました。円高や人件費の上昇で井川社有林の木材は経済性を失いつつあったところに、1982年の台風被害を受け、東海パルプは井川社有林での木材生産を中断しました。一方で、1979(昭和54)年に東海フォレスト(現特種東海フォレスト)が設立されると、椹島ロッヂを開業し送迎バスの運行を開始。登山客や釣り客の受入れを拡大しました。1990年台には県・市によって登山小屋が一新され食事提供が可能となったことや百名山ブームで、さらに登山客の利用が増加しました。

林道東俣線改良工事施工中の林道東俣線

リニア工事の準備工事と地域貢献

現在、JR東海さんによって東俣線の改良工事が進められています。1972年の開通以来、多少の改良工事はあったものの十年一日のごとく未舗装だった路面の舗装が進み、劇的に走りやすくなり、登山者の送迎バスの乗り心地や安全性も改善されました。JR東海さん、本当にありがとうございます。

これは、リニア工事の準備工事として施工されているもので、資材運搬の効率化(時間短縮)と工事関係者の安全確保が目的です。現在施工されている舗装工事によって資材運搬の効率化は達成できると思いますが、安全確保にはこれから行われる法面の防災工事が欠かせません。これから井川社有林により多くのお客様をお迎えするためにも、安全な場所であることが前提になります。現在230か所余で防災工事が計画されています。年々良くなっていくことが楽しみです。安心安全な道路の実現に向けて引き続きよろしくお願いいたします。

なお、これら工事にともない、東俣線では大幅な交通規制がされています。多くの皆さまにお越しいただきたいのはやまやまですが、安全安心な道路を実現するための規制であり、ご理解ご協力をたまわりたくお願い申し上げます。

改良後の林道東俣線

この記事をシェアする:

  • Facebookでシェアする
  • Xでシェアする

CATEGORY