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vol.1:一杯の水から、山を見る【環境DNA】

「環境DNA」

あまり聞き慣れない言葉かもしれないが、興味深い調査手法がある。
川でも池でもいい。そこから水を採取する。
その水の中に含まれるDNAを分析することで、その水域や周辺にどのような生きものがいる可能性があるのかを調べることができる。
水の中には、生きものの粘液や排泄物などに由来する、ごくわずかなDNAが含まれている。それを採取し、DNAの情報を既存のデータと照合していくイメージである。
もちろん、環境DNAならではの難しさもある。調査の過程で別のDNAが混ざる、いわゆるコンタミネーションの可能性もある。採水地点によっては、その場所に生息する生きもの以外に由来するDNAが検出される可能性もある。

つまり、「DNAが出た=そこにその生きものが確実にいる」と単純に判断できるわけではない。
それでも、水を採ることで多くの生きものの情報を得られる可能性があるというのは、とても面白い。

この取り組みは、科学技術振興機構(JST)の支援を受け、東北大学を中心とする「ネイチャーポジティブ発展社会実現拠点」が進める研究活動の一つである。同拠点は、多様な研究や社会との連携を通じて、ネイチャーポジティブな活動が社会に発展していく未来の実現を目指している。私たちの理念とも合致している。

この組織の一つのプロジェクトに、日本全国の海から山まで環境DNAによる調査を行い、そのデータを蓄積することで、生物多様性を継続的にモニタリングする方法を開発している。
その基盤の一つとなるのが、環境DNAの観測データを集めたANEMONEというデータベースである。
一方で、山岳域では環境DNAの採取が十分に進んでいない。
特に高山帯は、そもそも現地へ行くこと自体が難しい。
長時間歩かなければならず、持っていける荷物にも限界がある。山域によっては土地の管理者との調整が必要になる場合もある。
さらに、環境DNAは採取後の試料の扱いも重要である。サンプルの鮮度も重要であり、保管が難しい。
そうした条件が重なり、山岳域、とりわけ高山帯で継続的に調査することは簡単ではない。

その点、南アルプス井川山林では、私たちは業務で高山帯へ入る機会がある。
調査のためだけに山へ入るのではなく、普段の活動と組み合わせながらサンプリングすることができる。
そして何より、この話を初めて聞いた時、私はワクワクした。
「やってみたい。」素直にそう思った。

大井川源流で調査

駿河湾へ注ぐ大井川。
その源流域に、どのような生きものが暮らしているのか。水を調べることで、その一端が見えてくるかもしれない。
例えば、大井川源流域にはヤマトイワナが生息している。一方で、ニッコウイワナとの交雑も指摘されており、外見だけから判断することが難しい場合もある。従来の魚類調査には大きな労力がかかり、方法によっては生きものそのものへの影響も考えなければならない。
環境DNAは、生きものを直接捕獲せずに情報を得られるという点でも興味深い手法である。
ただし、2024年時点では、環境DNAだけからヤマトイワナという亜種レベルまで判別することは難しいと聞いている(出来るが、特定の亜種まで網羅できていない)

さらに面白いのは、環境DNAから得られる情報が水生生物だけに限らない可能性があることだ。
水辺を利用する哺乳類などのDNAが検出されれば、シカをはじめとする陸上動物の生息状況を考える手がかりにもなるかもしれない。
そんな話を聞きながら、私はさらに想像を膨らませていた。
いつか、渓流釣りやトレイルランなどで山を訪れる人に、
「本日のボランティア」
と題して、現地で採水に協力してもらうこともできるのではないか。もちろん、調査精度の確保や費用など、越えなければならない課題は多い。
それでも、山で遊ぶことと、山を守ることを両立する仕組みがつくれたら面白い。

「山と海はつながっている」という言葉をよく聞く。

低山の森林と川、そして海とのつながりは比較的イメージしやすい。
しかし、標高2,000m、3,000m近い高山帯と海との関係となると、途端にイメージすることが難しくなる。
ところが、この研究では意外な発見もあったと聞いた。別の山域の調査では、渡り鳥に由来すると考えられるDNAが高山帯から検出されたという。
なぜ里に暮らす鳥の痕跡が高山帯にあるのか。高山帯が、私たちの想像以上にさまざまな生きものの生活と関係している可能性もある。
環境DNAを調べることで、これまで気づかなかった生態系のつながりが見えてくるかもしれない。

その後、2023年から同プロジェクトで山岳域を担当する東邦大学の下野准教授とともに、南アルプスで調査を始めた。
下野先生は植物生態学、特に高山帯をフィールドとして研究されている。
当然のように山を歩く。しかも速い。これほどの山岳フィールドワークを研究者と一緒にできる機会も、なかなかないと思う。
2023年には、同じプロジェクトのメンバーや民間企業の方々とも手分けをしながら調査を行った。
対象としたのは、魚類、哺乳類、鳥類である。
2023年は8地点。2024年には11地点まで調査地点を広げた。
さらに2024年秋には、静岡大学グローバル共創科学部のフィールドワークにも環境DNAの採水を取り入れてみた。
研究者だけではなく、企業や学生も一緒にデータを集める。ここにも、この調査の面白さがある。

実際に調査をしてみると、興味深い結果も出てきた。
例えば、標高約2,700mの地点からイノシシのDNAが検出された。
「本当にこんな高いところまでイノシシが来ているのだろうか。」私には少し腑に落ちないところがあった。
環境DNAだけでは、そのDNAがどのような経路でそこへ到達したのかまで断定することは難しい。しかし、その後に行った別地点のトレイルカメラ調査では標高2,000m付近で子連れのイノシシが撮影されている。複数の調査結果を重ねることで、これまで見えていなかった動物の高標高域利用が、少しずつ見えてくるのかもしれない。また、別の高山帯の調査地点からは、カジカ類に由来すると考えられるDNAも検出された。南アルプスでこれまで確認されていない種であるので、大きな発見になる可能性もある。ただし、環境DNAの結果だけで生息を確定することはできない。
追加の調査が必要になる。

むしろ、環境DNAは「ここをもう少し詳しく調べてみよう」というきっかけを与えてくれる調査方法なのかもしれない。
一方で、思うようにデータが取れないことも分かってきた。山岳域では、海や里地と比べて魚類や哺乳類の生息密度そのものが低い可能性がある。
そのため、同じ方法で調査しても十分なDNAが検出されないことがある。
海や里とは異なる、山岳域に適した調査方法を考えた方がよいのではないか。
そんな議論も始まっている。やってみて初めて分かることがあるし、続けてみて初めて分かることもある。環境DNAは、水を採ればすべてが分かる技術ではない。それでも、これまで調べることが難しかった山岳域の生きものを知る、画期的な手段の一つになり得ると思っている。大井川の源流から駿河湾まで、その間にどのような生きものが暮らし、どのようにつながっているのか。
まだ分からないことの方が圧倒的に多い。だからこそ面白い。

また新しい発見があれば、このコラムで紹介したい。

【このプロジェクトを応援してくださる方へ】

私たちは、この生物多様性モニタリングと自然環境を通じた教育を長期的に続けていくため、本プロジェクトをご支援いただける企業を募集しています。また、カジカの調査結果から、山岳域の魚類研究者でご興味がある方はご連絡くださいませ。
南アルプスの森の「今」を記録し、未来へつなぐ活動に、ぜひお力をお貸しください。
お問い合わせは十山㈱総務部宛にこちらから。

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