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歴史から社有林経営の気構えを学ぶ

江戸時代、江戸の街の旺盛な木材需要を賄うため井川山林各地でも御用材の伐採が行われました。井川七ヶ村全体は幕府の天領でしたがその奥山である井川山林は地元の稼ぎ山でもあったことから、トラブルもあったようです。今回は、井川村誌に書かれている江戸時代の伐採に関する二つのトラブルから学ぶ教訓について、自戒を込めてご紹介します。
写真:当時の林相に近いと思われる八丁平。井川の人々は、こうしたウラジロモミやコメツガを伐り割って榑木を作り、背負い出していた。

領主に物申した庄屋 善九郎

井川山林は江戸時代、井川七ヶ村の田代と岩崎の稼ぎ山(入会山)でした。村人は農作業の合間に山に入っては伐採して榑木や宍料※に製材し、それを背負い出して売ることで現金収入を得ていました。

しかし明和6年(1769年)、井川の領主、海野弥兵衛(おそらく海野信武。弥兵衛は代々海野家当主の公儀名)が田代の人々に無断で信州大鹿村の馬之丞に角材2万本を売り、馬之丞はこれを奈良田越から甲州早川に出そうとしました。これを知った田代村の庄屋 善九郎らが、代官にこれを差し止めるように訴え出たのです。

角材を奈良田越から早川に出すということですから、舞台は当然東俣だと思います。まず、井川からも大鹿村からも早川からも遠い東俣が舞台になったことが驚きです。そして、歩くしか移動手段がない時代に、険しい山をものともせず、今風に言えば3県をまたいでビジネスをしようとする発想にも驚きます。逆な言い方をすれば、当時の人々にとって東俣は無理なく行き来できる範囲の身近な場所だったということでしょうか。

また、素晴らしいと思うのは、各上の領主が決めたことに対して格下の善九郎が差し止めを訴え出たということです。私は、江戸時代の身分関係と言えばテレビの時代劇風に「悪代官が庶民を苦しめ、庶民は泣き寝入り」みたいなイメージを勝手に抱いていました。しかし、「格上の人であってもおかしいと思えば訴えることができたんだ」と思い直すのと同時に、自分が正しいと思うことを貫く姿勢は見習いたいと思いました。

※榑木と宍料 榑木(くれき)は、一般的には材木をミカンの様に割って作った台形に近い角材を言うが、井川ではそれをさらに割った屋根板を言う。宍料(ししりょう)は挽板材。

幕府御用に屈せず地域を守った六太夫、善之進

写真:元禄11年(1698年)竣工の上野寛永寺根本中堂には紀文が伐採した井川材も使われた。
(ただ、現在の根本中堂は明治12年に再建されたもので、ここには井川材は使われていない。)

幕府が開かれると、江戸では城郭の修繕や寺社の造営、城下町建設などが盛んに行われ、建築・土木用材の需要が急激に増加しました。こうした木材は、江戸時代初期には関東周辺や諸国の材木商が扱っていましたが次第にそれだけでは足りなくなり、元禄年間になると御用商人が供給するようになりました。大井川上流域での御用材伐採も江戸時代初期は井川の領主海野弥兵衛が命じられましたが、元禄5年に紀伊国屋文左衛門が請け負って以降は御用商人によって伐採されました。

御用商人の伐採は、それまでの伐採とは異なり、地元の人夫はほとんど使わず木曽や美濃などから数百人の人夫を動員しました。また、材木商や幕府から派遣された武士は御用を笠に着て横暴で、立木代金を払わないとか、決められた直径以下の立木も伐採するとか、伐採範囲を守らないなどといった事が横行していたようです。

また、紀文の伐採の時には御用材搬出が最優先で地元の人々による稼ぎ山での伐採は禁止され、現金収入の道を絶たれた地元民は困窮し餓死者が出るほどでした。こうした仕打ちには耐えられないとして、六太夫(恐らく田代の組頭の一人)は幕府に伐採禁止を解くように何度も江戸に通いました。箱根の関所で「六太夫、また来たか」と言われるほど通った結果、稼ぎ山での伐採が2年ぶりに認められました。当時の身分制度では井川から幕府に直接陳情するということは、相当な覚悟が必要だったろうと思います。

また、死者が出たことと比べると些細な問題かもしれませんが、数百人分の伐出人夫が必要とする生活物資も膨大で、御用商人はそれらも井川からではなく甲州早川から運ぼうとしました。これに対し、田代の名主 善之進は「所の潤いにならず」と一蹴し、井川から生活物資を運ばせ地域の人々の仕事の確保に努めたとのことです。

立木代金を払わず伐採範囲も守らないという低レベルの問題が横行する中で、「公共事業である御用材伐出の恩恵は地域に還元すべき」という今に通じる善之進の意識の高さは素晴らしいと思います。六太夫の話も善之進の話も、善九郎の話同様、江戸時代の身分制度や権力に屈することなく地域のために尽くしたということです。私たちも地域と共に成長する会社として、こういう姿勢を見習っていきたいと思います。

 

【文責:鈴木康平】

参考図書
井川村誌編集委員会 1974年 井川村誌
徳川林政史研究所 2012年 森林の江戸学
森竹宏之 2011年 先祖を尋ねて

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