【寄稿】vol.1 南アルプスの歩き方:シダ植物を楽しむコラム
弊社では、井川山林の魅力を発掘するために、これから研究者の方と様々な形で協力体制をとっていきたいと考えています。
今回は、2023年の夏から秋にかけて井川山林への入下山を弊社で支援させていただいた東京都立大学 大学院の米岡克啓さんに、シダ植物に関するコラムを執筆していただきました。
コラム著者
東京都立大学 理学研究科 生命科学専攻 牧野標本館 所属 博士後期課程2年 米岡克啓
日本有数の山岳地帯である日本アルプス。
登山シーズンを通して多種多様な高山植物が咲き誇り、珍しい植物を一目見ようと日本中から数多くの登山客が集まります。3,000m級の山々13座を擁する南アルプス地域には、世界でここだけに生育するキタダケソウ、タカネビランジ(固有種)をはじめ、アオノツガザクラ、シコタンソウ、タカネマンテマ、チングルマなど最終氷期の遺存種の数々が生育しています。少し標高を下げるとコメツガやオオシラビソ、トウヒを中心とする見事な亜高山帯針葉樹林が、その下にはチョウセンゴヨウやカエデ属を中心とする針葉樹と落葉広葉樹の混合林広がっており、幻想的な景観を形成しています。これらの南アルプスの大自然は貴重な観光資源として、多くの登山者を魅了し続けています(写真1、2)。
1.茶臼岳周辺の稜線部の様子(7月)
2.聖平のニッコウキスゲの大群落(7月)
これに対して、今回のコラムの主題は、「シダ植物」です。南アルプスでは、標高1,000m以上の高地に少なく見積もっても80種以上のシダ植物が生育しています。
うっかり見落としてしまいそうな見た目をしていますが、森林限界を超えた高山帯から樹林帯まで幅広く生育していることにお気づきでしょうか。「花が咲かない植物で、種子ではなく胞子を介して増えている植物だということは知っている。けれども姿形はどの種をとっても似たり寄ったり、種同定も難しそうだし、イマイチ良くわからない地味な植物。」そんなふうに思っている方は少なくないのではないかと思います(シダって少しとっつきにくいですよね…)。そこで、本コラムでは、山とシダ植物が大好きな研究者(現在は博士後期課程の学生)の立場から、ここ南アルプス地域を舞台にシダ植物の魅力・楽しみ方をお伝えします。南アルプスとそこに生育するシダの魅力が1人でも多くの方に伝わりますように!
初回のvol.1では、シダ植物の固定観念を打ち砕くべく、シダ植物の多様な葉の形態に注目して紹介していこうと思います。このコラムを読み終わる頃には、シダの解像度が少し高まるかもしれません——「シダ植物」と聞いて皆さんがイメージする姿はどのようなものでしょうか? 葉が深く切れ込んでいて、それらが密生している姿を想像する方が比較的多いのではないかと思います(写真3)。
3.シダ植物の代表格.本州全域に広く分布するベニシダ
シダ植物では、白丸で囲った部分全体に対し「葉」、深く羽状に切れ込んでいる部分(黄色でくくった部分)対して「羽片」という名前が付けられています(写真4)。そして葉が羽状に切れ込んだ回数の違いによって、そのシダ植物の印象が変わっていきます。
4.シダ植物の葉と羽片
例えば、南アルプスの標高1,000~2,500mの樹林帯の林床に広く分布するシラネワラビを見てみましょう(写真5、6)。
5.亜高山帯の林床に生育するシラネワラビ
6.シラネワラビの葉の裏面を拡大した様子
中心の葉軸に対して1回目、羽軸に対して2回目、更に3回目の切れ込みまで入っていることが伝わるでしょうか(写真6)? シダ植物の形態を表す言葉で、これを「3回羽状深裂(うじょうしんれつ)」と表現します。シラネワラビは3回羽状深裂の、まさに「シダらしいシダ」と言えそうです。しかし、野外を歩いていると、もっと切れ込みの回数が少ないシダも普通に生育していることに気づきます。
7.亜高山帯の林床・傾斜地に生育するミヤマワラビ
例えば、こちらのミヤマワラビをご覧ください(写真7)。このシダも、先ほど紹介したシラネワラビと並んで、南アルプスの亜高山帯を代表するシダ植物種の1つです。種名の由来にもなっている「深山」は、まさに南アルプスにピッタリ!明るい林床の傾斜地を好んで生育しています。また、細かい毛が生えているためか、モコモコとした柔らかな触り心地も特徴です。このシダもやはり「シダらしい見た目」をしていますが、先ほどのシラネワラビと比べると切れ込みの回数が1回少ない、「2回羽状深裂」のシダ植物です。しかしそれだけで、随分すっきりとした印象になります。
さて、ここからもう一段階切れ込みの回数を減らしたらどうなってしまうのでしょうか。今回は、聖岳山麓の沢沿いを調査していたときに見つけたミヤマウラボシを例に見てみましょう(写真8)。
8.岩上に着生するミヤマウラボシ
ご覧ください…!なんだか可愛いらしい見た目になってきました。ポップで、モダンなデザイン性のある植物です。切れ込みは葉軸に対して1回だけ、それも1回羽状深裂のシダ植物です。本当にこれもシダなのかと疑ってしまいたくなりますが、葉の裏側を見ると、この分類群の名前の由来にもなっている巨大な胞子嚢群が形成されており、正真正銘シダ植物だと分かります。こちらのミヤマウラボシは、数こそ少ないものの聖岳山頂に向かう登山道脇の岩場や旧東俣管理道路跡(二軒小屋―池ノ沢)の明るい岩場で点々と見つけることができました。やや珍しいので出会えたときの喜びは格別です。
おまたせしました。いよいよ、「単葉」のシダ植物の登場です! 同業者で、いつもお世話になっている藤原泰央先生(以降、藤原さんと呼ぶ)と、渓流に沿って樹幹や岩場に目をやりながら歩いていると…………!見つけました!!!!ナガオノキシノブです(写真9)!
9.岩上に着生するナガオノキシノブ
葉が岩からいきなり飛び出しているようにも見えますが、現地で注意深く葉の根本を観察すれば、根茎(茎)が岩の上を這っており、その上から葉がたくさん生えていることが分かります。シダをあまり知らない人が見たら「ええーーーっ!!これもシダなの??」と疑ってしまいたくなる見た目をしていますが、葉の裏には、胞子嚢群が形成されていますから、これもシダ植物(写真10)。
10.ナガオノキシノブの葉の裏面に形成された胞子嚢群
実は、このナガオノキシノブ、2022年に分類学的再検討が終わったばかりの、ちょっとホットなシダ植物ですので、この場を借りて私たちの研究の一端を紹介しようと思います。
歴史的に、日本のナガオノキシノブには、かつて中国で記載されたLepisorus angustus Chingという学名があてられてきました。両者は、見た目がそっくりだったので、「中国と同種のものが日本の高山にも生育しているのだ!」と考えられていたようです。ところが、その後の研究が進んでいくにつれて、「日本のナガオノキシノブって、もしかしてLepisorus angustus Chingではないのでは?」と指摘するシダ学者が現れることになります。こうして、分類学者達によるナガオノキシノブをめぐった「分類学的再検討」が始まりました。この検討の中では、形態学や細胞生物学、分子遺伝学の手法を用いて多角的な比較が行われていきます。そして 2022年、藤原さんを筆頭に日本のナガオノキシノブに対しLepisorus rufofuscus T. Fujiw.という学名を与え、新種のシダ植物として正式に発表されたのでした。本種は、中部山岳地帯を中心に生育する日本固有のシダ植物で、ここ南アルプス地域では、標高1,200m以上の川沿いの湿潤な岩場を中心に生育しています。比較的個体数も多いので、ぜひこれをきっかけに覚えていただいて、渓流歩きの際に探してみてください(写真11)。
11.旧東俣管理道路を縦走したときの様子(2023年8月)
いかがでしたか。これまで漠然と抱いてきたシダに対するイメージが少し変わったのではないでしょうか。「葉の切れ込みの回数」という点に注目するだけでも、今まで1つに見えていた「シダ植物」の解像度が上がって、多様な「形態」そして「種」を認識することができるようになりました。
実は、シダ植物において、この「葉の切れ込みの回数」というのは、種を区別する重要な特徴(識別形質)となっています。この他にも、地下茎様子や、胞子嚢群の位置、胞子嚢を覆う胞膜の形状、鱗片の形状、葉の辺縁にある鋸歯(ギザギザ)の入り方…などなど、枚挙にいとまがありませんが、これらの識別形質の情報を組み合わせることで、もっとたくさんのシダ植物を認識することができるようになっていきます。しかし、いきなり全部を覚えて比較することは難しいので、はじめは葉の切れ込みの回数を数える程度で十分です。回数を重ねれば重ねるほどに他の部位にも注意が向くようになっていき、意外な発見をしてしまった瞬間、あなたはシダ沼への一歩を確実に踏み出していることでしょう。
謝辞
2023年度に実施された南アルプス地域でのシダのインベントリ調査に際して、アクセス困難な地域での調査研究を全面的サポートして下さった鈴木康平さんをはじめとする十山株式会社の皆様には大変お世話になりました。実験・解析にかかる費用の一部は、南アルプス学会研究助成の支援を受けました。記してお礼申し上げます。
コラム著者のプロフィール
東京都立大学 理学研究科 生命科学専攻 牧野標本館 所属 博士後期課程2年 米岡克啓
日本学術振興会特別研究員としてシダ植物の配偶体世代に着目した多様性研究に取り組む